「文章術」を学ぶ意味って何だ?【第1章 電撃の文章術】
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文章力アップを目指す方が、本書の内容を納得の上で購入していただくために、総合科学出版にOKをもらい、本書の一部を公開しました!
「第1章 電撃の文章術」より『「文章術」を学ぶ意味って何だ?』です。
目次
「文章術」を学ぶ意味って何だ?
ところで、今さら文章の始めたところで、なんか意味あるんだろうか……?
いや、「あなたが未来に見る世界を、あなたの文章で変革可能なものへと変化させようじゃないか」とかのたまった直後で大変誠に恐縮ではございますが、ただでも、今って世の中が激変してるからね。
自動運転自動車や人工知能、ロボットにインターネットを使った遠隔操作。当然、文章だって人工知能が書けるようになっちゃう。まさに未来到来だ! ……だけどその一方で、いろんな仕事がなくなりそうでもある。
だって、人工知能が文章を書けるんだったら我々ライターはいらない。実際問題、潰れるなんて想像もしなかったような超・大手企業が倒産したり、買収されたりしている。銀行も大量のリストラ。
さらには、多くの企業が副業を解禁し始めていて、“仕事の在り方”は現在進行形で大きく変化している。
あなたもこれまでの秩序が崩れ、混沌とし始めた世の中に不安を感じているのではないだろうか。
こんな中で文章術なんて覚えても無駄なんじゃないか。もっとほかのことを覚えたほうがいいんじゃないか……?
結果から言えば、「文章術を覚えて損はない」。
何故そんなことが言い切れるのか?
それはもちろん、この本が文章術の本だから。文章術の本で文章術を否定してしまっては、存在意義がなくなってしまう。だから、文章術を覚えても何の意味もないですよなんて、口が裂けても言えないのだ!
……なーんて、さすがにそんな理由で「文章術を覚えて損はない」と言っているわけじゃない。何故文章術を覚えて損がないのかといえば、文章術とはコミュニケーション術だからだ。
この先、どんなに文明が進化しようと、人間が生物である以上、食べることや排せつ、睡眠や性行為といったものを捨てることはできない。これと同じようにコミュニケーションを捨てることはできないのだ。
どういうことか?
心理学によると、人間は“ある集団に属したい!”という「所属欲求」と、“ほかの人に認められたい!”という「承認欲求」を持っている。この2 つの欲求は超・強力だ。
まず「所属欲求」から説明しよう。たとえば、「特に自分の母校への愛着なんてないし、会社も生活費を稼ぐために行っているだけ」という人がいたとしよう。
一見、「どこかの集団に所属したい!」なんて「所属欲求」は全く持ってなさそうだ。
でもそういう人が、日本がオリンピックに出て金メダルを取った……なんてニュースを聞いて笑顔になったり、或いは地元の料理をけなされた瞬間、激怒したりする。
つまり、積極的に「どこかの集団に所属したい!」と思っていなくても、実際には誰しも“何らかの集団としての価値観”を持ってしまっているのだ。
「承認欲求」についてもそう。
“ほかの人に認められたい!”というと、「小説の大賞を受賞して、沢山のファンからファンレターをもらった!」みたいな大事を想像するかもしれないが、そうじゃない。
ほかの人が自分に興味を持ってくれて、真剣に話を聴いてくれる……それだけで「承認欲求」が満たされることは多い。
それだけ。たったそれだけなのだ。
でも、キャバクラやスナックの常連になるのは何故かといえば、「自分に興味を持ってくれて、真剣に話を聞いてくれる」からだろう。たったそれだけのことで、ビジネスが成立するのだ。
また、熟年離婚の危機に陥るのは、「旦那さんが生返事ばかりで奥さんの話を真剣に聴かない」というコミュニケーション不全の状況がウン十年続くことに起因していることが多い。「たったそれだけ」のことが人生に与えるインパクトは大きいのだ。
人類がこうした「所属欲求」と「承認欲求」を捨て去れない以上、これらの欲求を満たしてくれる“人間とのコミュニケーション”もまた、捨て去れない。
実際、この20 年を見渡すとインターネットを使った様々な技術が登場しているが、人々がメインで利用してきた機能は「メール」「SNS」「LINE」……と、どれもこれも“人間とコミュニケーション”するための機能。技術自体は物凄く進化しているように感じるが、人間が求めるものは何一つ変化していないのだ。なので、この先技術がどれだけ進化したとしても、我々は“人間とのコミュニケーション”を求めずにはいられない。
このことは、ビジネスというフィールドにおいても同様だ。
「ビジネス」というのは「売りたい」「作業を依頼したい」といった要望を実現するため、お金と「購入する」「作業をする」といった要望実現のためのアクションとを交換する行為。お金が絡むものの、これ自体一種のコミュニケーションだ。
なので、ビジネスが続く限り、そこにコミュニケーションは発生する。そしてビジネスがなくなるときというのは、人類から一切の
要望がなくなるとき。さすがにそんな日がくることはない……というか、そんな日が来たとしたら、人類滅亡の日以外の何物でもない。ためしに、超・人工知能みたいなものが未来の世界に出現し、世の中から“ビジネス”がなくなった世界を想像してみよう。
まだ人間は「食べ物がほしい」「服がほしい」といった要望を持っている。それを、超・人工知能が叶えてくれるわけだ。ほかの人間とコミュニケーションして食べ物や服を購入する必要はない。この場合、コミュニケーション術である文章術も不要だ。しかし、こんな世の中になったとしたら、そもそも文章術どころか、あらゆる仕事に関する技術が不要になっている。
文章術じゃなくてほかの技術を学んでおけばよかった……なんてことにはならないわけだ。
要するに現実的に考えれば、日々の暮らしというフィールドにせよビジネスのフィールドにせよ、人類が生き続ける限り、コミュニケーションはなくならない。だから、「コミュニケーション術」である「文章術」もまた、不要になることはない。
安心して学びの一歩を踏み出してほしい!