凝った表現を諦める【第1章 電撃の文章術】
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文章力アップを目指す方が、本書の内容を納得の上で購入していただくために、総合科学出版にOKをもらい、本書の一部を公開しました!
「第1章 電撃の文章術」より『凝った表現を諦める』です。
目次
凝った表現を諦める
ボキャブラリーを増やす場合も同様だ。大量の本を読み、文章を執筆して血肉に換えていくという経験の蓄積が必要。もちろん、膨大な時間がかかる。
だから作家やライターといった職業の人間は、常に勉強を欠かさないわけだが、逆に言えばこの方法は即効性がない。
なので、まさに今、文章を書かなければならないという場合には使えない。
今すぐ文章を書く必要があるのなら、現実的には凝った表現を諦めるしかないだろう。
凝った表現を諦めて今自分の使えるボキャブラリーだけで文章を書けば、スラスラ書けるハズだ。
なんといっても、表現を探す時間がカットされるのだから。
「それじゃあ文章が味気なくなってクオリティが下がっちゃう?」
でも、考えてほしい。
たとえばプロポーズで、「告白の表現がよかった」という理由“だけ”で結婚を決めるだろうか?
プロポーズを受けるか受けないか?という判断の基準になるのは、それまでの交際経験の積み重ねのはずだ。
何度もデートを重ね、相手の容姿や性格、趣味嗜好、経済的な考え方や子育ての価値観を知り、「一緒に暮らしていけそうだし、一緒に暮らしていきたい」という気持ちが芽生える。
こうした積み重ねがあるからこそプロポーズを受けるのであって、積み重ねなしでただ単に「告白の表現がよかった」という一点突破でプロポーズを受けるわけじゃあない。
1日で結婚を決断するお見合いの場だとしても、「告白の表現」だけで決める……なんてことはなく、短い時間ではあるものの、会話やたたずまいからわかる相手の人柄や価値観、相手の容姿、相手の経済状況などなどを加味して決めるはず。
文章も同様だ。
「情報としての価値(=ネタ)」「構成としての価値(カタ)」「文章力としての価値(デコ)」が組み合わさって文章全体の価値となる。
したがって、表現=「文章力としての価値(デコ)」“だけ”にこだわってもあまり意味はない。
もちろん、小説や詩のように「文章力としての価値(デコ)」が価値のメインというケースではこだわる意味がある。
しかし、たいていの文章では「情報としての価値(=ネタ)」のほうが重要度が高い。
なので、「文章力としての価値(デコ)」にこだわってなかなか完成しないよりは、凝った表現を諦めて完成を目指したほうが、たいていの場合、よい結果を生むだろう。
そうはいっても、気の利いた表現を盛り込みたい!
そう思うなら、最も重要な情報を伝える一言や、最も大切なシーンを描く文章に絞って、こだわりの表現を使うようにしよう。
すべての文章表現にこだわるのではなく、部分的にこだわるということだ。
こだわる部分のボリュームを少なくすることで、スピードをアップする……これならスピードを保ったまま、文章表現を向上させることが可能だ。
こうやって「情報としての価値(=ネタ)」「構成としての価値(カタ)」「文章力としての価値(デコ)」というそれぞれの要素ごとに対策を考えることで、現実的な行動へと落とし込むことが可能だ。現実的な行動へ落とし込むことで、書けるようになるうえ、スピードもアップする。
つまり、「情報としての価値(=ネタ)」「構成としての価値(カタ)」「文章力としての価値(デコ)」という3つの要素に分けることこそが、文章の高速執筆……ライトニングライティングの中核なのだ。
つまりまとめると、ニュースや小説、などなど商品としての完成形が何かによって文章に求められる価値は異なっており、完成形に応じて「情報としての価値(=ネタ)」「構成としての価値(カタ)」「文章力としての価値(デコ)」のどこに注力するかも変わってくるということなのだ!